「この寂しさは、『奪われる寂しさ』ではないか」
また分かりにくいよ〜っ。
なんだそれは!って感じですね。
ちょっと解説をしてみます。
今の私の仕事は、中国の若い(大半が20代前半)のスタッフに仕事の指示や、日本的礼儀・習慣(メールの書き方とか)や、日本語そのものを教えたりしているんです。
もしかすると、彼らに私の知識を吸い取られる事が「寂しさ」の原因なんではないかと思ったのです。
いえ、別に彼らが無礼で腹を立ててるとか、そういうことじゃないんです。
むしろ素直で無垢で、聞いていたよりやりやすい印象です。
単に教えることの「寂しさ」に、私が慣れていなかったということなのかなと、ちょっと考えたのでした。
「教えることの寂しさ」とは
なんといますか、せっかく何年もかけて自分が取得した知識、ノウハウ、考え方...そういうのいろいろあるじゃないですか。
といっても私なんてまだ若輩者、たかだか10年そこそこの社会人経験ですけどね。
そういう物を根こそぎ彼らは吸収していくさまを見て、ある意味「怖さ」というか「寂しさ」というか、そういうものを感じたわけです。
まだ1ヶ月しか経っていないのに、そんなこと言っている私が少しおかしいのかもしれません。
私が社会人になって、その間に直属の部下と呼べる人が居た期間が極端に少なかったのが、今回のショックの原因かも知れませんね。
今は、今まで私にいろいろな事を教えてくれた上司や先輩に、私はなんて酷い仕打ちをしてしまったんだろうって、そういうことを思っています。
奪うばかりで何も返していなかったなぁと。
その分、今度は私が若い彼らに還元しなけりゃいけないんですね。
頑張んないとね〜。