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寂しさの原因
最近テキスト系ブログと化しているこのサイトですが(笑)、もう少しお付き合いくださいませ。

なんで寂しいのかを、あの後も考えてるんです。
別にそれでどうこうなるもんじゃないのは分かってるんですけどね。
で、一つの仮説を立てたので、それについて書かせていただきます。

「この寂しさは、『奪われる寂しさ』ではないか」

また分かりにくいよ〜っ。
なんだそれは!って感じですね。

ちょっと解説をしてみます。
今の私の仕事は、中国の若い(大半が20代前半)のスタッフに仕事の指示や、日本的礼儀・習慣(メールの書き方とか)や、日本語そのものを教えたりしているんです。
もしかすると、彼らに私の知識を吸い取られる事が「寂しさ」の原因なんではないかと思ったのです。
いえ、別に彼らが無礼で腹を立ててるとか、そういうことじゃないんです。
むしろ素直で無垢で、聞いていたよりやりやすい印象です。
単に教えることの「寂しさ」に、私が慣れていなかったということなのかなと、ちょっと考えたのでした。

「教えることの寂しさ」とは

なんといますか、せっかく何年もかけて自分が取得した知識、ノウハウ、考え方...そういうのいろいろあるじゃないですか。
といっても私なんてまだ若輩者、たかだか10年そこそこの社会人経験ですけどね。
そういう物を根こそぎ彼らは吸収していくさまを見て、ある意味「怖さ」というか「寂しさ」というか、そういうものを感じたわけです。
まだ1ヶ月しか経っていないのに、そんなこと言っている私が少しおかしいのかもしれません。

私が社会人になって、その間に直属の部下と呼べる人が居た期間が極端に少なかったのが、今回のショックの原因かも知れませんね。

今は、今まで私にいろいろな事を教えてくれた上司や先輩に、私はなんて酷い仕打ちをしてしまったんだろうって、そういうことを思っています。
奪うばかりで何も返していなかったなぁと。
その分、今度は私が若い彼らに還元しなけりゃいけないんですね。

頑張んないとね〜。
06/19 10:48 | 思っていること | CM:4 | TB:0
人にモノを教えるというのは非常に難しいと思います。恐ろしく偏見を教えるかもしれない。教えたことが歪んでいるかもしれない。なにかのサイトとかで、外国の子供が笑顔で敵対している国旗を燃やしている写真とか見ると「親がそう教えたんだろうな」と思うわけです。教えるってのはそれぐらい簡単に歪む。
大変なことですが、それがやりがいなのでは。
少なくとも、教わったほうは、あなたに感謝をしているはずです。そして教えればあなたは負担はどんどん減って、違うことに時間が使えます。
コメントありがとうございます。

うーんと、1点誤解されているとすると、私は感謝されるために教えているわけじゃないですよ(マジメに)。
そう、自分の負担を減らすために、そして、自分がお給料が欲しいから教えてるんです。
教わるかどうかは、彼らが決めること。

あと...。
私の書き方が悪かったけど、「日本的礼儀・習慣(メールの書き方とか)や、日本語そのものを教えたりしている」というのは、ビジネスの上で必要だから教えているのであって、別に日本的精神論とかヘンなことは教えてませんので念のため...。
私は左右どちらでもない!(と思ってる)

あとあと、もう1点言わせてもらうと、
よく、日本の報道は外国の偏向教育について批判する。
もっともだと思うが、では日本のそれはどうなのか。
日本の教育が、日本の報道が、本当に正しいのか、疑ってみる必要があると思うよ。
といっても私は専門家じゃないしね、突っ込まれると答えられない可能性大ですが。
でも、疑うことの大切さを忘れてはいけないと思うよ。うん。


話が逸れているが、今回私が言いたいのは私の心に空いた穴の話さ。
(BGM:「ちょっとツラインダ」/ the Beatniks) せっかく尊敬されているのに、「人に教えること」が「寂しい」と考えるのはなぜだろう。

例えばパソコンの使い方なんて日々、変わっていくもので、本を調べれば分かるような安売りの知識ばかりだけど、日本語の使い方だとか、仕事のマナー、コミュニケーション能力ってのは人それぞれの経験や心使いに委ねられているよね。だから教えてもすぐに理解され実践されないと思うよ。真似して形から入ればそれなりに見えるけれど、そういうのは相手に読まれるし。教わった中でも一番大事なことっていうのは数十年経ってやっと「ああ、あの時あの人はこういうことを教えてくれたんだ。」って分かったりすることってある。だから知識が奪われるような気がしても寂しくないはずだよ。引き出しをすべて開けられても、その一つ一つの内容や奥深さまで知るには相当な時間がかかるもの。902さんの教えていることってそう簡単に習得されるものばかりじゃないでしょう。

「人に教えること」が「寂しい」って感じる…言いたいことも気持ちもよく分かるけれど、考え方次第で楽になるような気がしないかな。
取得した知識、ノウハウ、考え方...は何年もかけて努力し培ってきた人にしか教えることはできないのだから、それをやってるってことは素敵だし、とても尊敬します。「自分は人に教えられるだけの経験や能力が備わっているか」と考えてみたら、私はまだ全然ですもん。

「奪われる寂しさ」が「教える喜び」と考えられるようになるといいね。 コメントありがとうございます。

自分で考えた結果、やっぱり1ヶ月そこそこで「教える」ことで「寂しさ」を感じるのはおかしいという結論に達しました。
こういうことは、何もかも教え尽くした結果出てくるはずの感情のはずで、今の僕はまだまだ先がある。
やらなきゃいけないことがある。

そんな中、教えるのが「寂しい」だなんて、ワガママ過ぎだと気がつきました。

もっと早くに気がつくべきですね。
しばし反省。

1点だけ。
猫の耳さん:
> せっかく尊敬されているのに、「人に教えること」が「寂しい」と考えるのはなぜだろう。

ええっと、尊敬されているかどうかは、ほんとに分かんないですよ。
「ヘンな日本人が来たよ〜、アイツやべーよ!」
くらいに思われているのかもしれません。

っていうか、これも1ヶ月そこそこでどっちかは判定出来ないんではないかと...。


あ"〜、つまりこうだ、
「こんなエントリ、書いたヤツが悪い」

はい、どうもすいません...。
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